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十一月の朝の空をどんよりとした重い雲が覆っている。登校しようとしていた少年は、巌戸台分寮の玄関で立ち止まり、右目にかかる長い前髪の隙間から今にも泣き出しそうな空を見上げると、傘を取りに自室に戻っていった。 少年が学校に到着する少し前に雨は降り出した。まるで堪えに堪えた涙がついに溢れてしまったかのような、突然の大雨。 しかし、朝のあの重苦しい曇り具合いからか、今のところ教室に集まる生徒達には傘を持たずに濡れてしまった者はいないようだった。 少年は自分の椅子に座り、いつものように首から下げたMP3を、まだ眠気のとれていない目で伏し目がちに見つめながらちまちまといじっている。雨が降り始める前にと思って普段よりも早めに登校したせいですることがなく、少々手持ち無沙汰なのだった。 しかしすぐに、小さな相棒に暇潰しの相手になって貰うのをあきらめて、少年は机に突っ伏した。連日の部活動で疲れているせいで、寝息が聞こえるようになるまで大して時間はかからなかった。 ひや、と一瞬少年の首筋に何か冷たいものが当たった。 「―――――!?」 「わ、起きた」 突然の感触にガタリと音を立てて上半身を跳ね起こし、寝惚け眼のまま辺りをきょろきょろと見回すと、少年のすぐ横に、トレードマークのマフラーはもちろん、頭の上から爪先までびしょぬれに濡れた望月綾時が立っていた。 「や、おはよう。今朝はずいぶんとはやいんだね?」 濡れ鼠と化した自分の姿など意に会さず、いつも通りにこやかに挨拶する望月を、少年は呆然と見上げている。なるほど、先ほど自分の首に当たったのは彼の髪先から滴り落ちた雨水だったのだろう。 「望月、そのかっこう、」 「ん、来る途中にね、いきなり降り出すものだから。濡れちゃった」 ふふ、と、なにがおかしいのか微笑みをさらに深くしてにこにことこちらを見ている望月にため息がでそうだ。ただでさえこの寒い季節に、カッターシャツとマフラーという見ているほうが寒くなる格好をしているというのに、ずぶぬれで平気な顔をする彼には、寒いという感覚がないのだろうか。 しかし、本人に寒いという意識がなくても、このままでは風邪を引くのは明白だ。それ以前にびちょびちょと水を垂らした雑巾のような状態でいられるのはかなり迷惑だろう。少年は望月にむかって、男子トイレの方向を指差して言った。 「服着替えろよ、床もびちょびちよ。今日体育あるからジャージ持ってきてるだろ」 「あ、ほんとだ?ね、今の僕って水も滴る良い男?」 「それはそうゆう意味じゃない。誰に聞いたんだそんな言葉。ほら早くいけ、風邪引く」 嬉しそうに笑いながら、間違って教えられた覚えたての諺を使ってみる望月に呆れながら、さっさといけよと手を振ると、彼は何故か少し頬を赤くして照れ臭そうにしながらいそいそと教室を出ていった。 それを見送り、少年は雑巾はどこにあったかなと微かな記憶を辿る。とりあえず水溜まりの出来てしまった床をなんとかしなくてはいけないだろう。 少年が床を拭き終わった頃、ジャージに着替えた望月が戻ってきた。 「ただいま!あれ、拭いてくれたんだ」 「ん」 「ごめん、面倒かけちゃったね」 申し訳無さそうに肩を落とす望月は、まるで飼い主に叱られて耳を垂らしてくうと鳴く犬のようだった。そんな彼に、寮の仲間であるコロマルの姿を重ねてしまい、思わず噴き出しそうになるのを慌てて堪える。 「べつに。それより、髪もちゃんと乾かせよ。せっかく着替えたのにまた濡れるぞ」 望月は少年が言った通り着替えてはいたが、ずぶぬれの髪はそのままで肩の辺りに染みが出来てしまっていた。 「ほら座れ。タオル貸してやるから」 「? うん!ありがと」 望月は、何から何まで世話をかけてしまって申し訳ないとは思ったが、やはり嬉しさのほうが勝ってしまい、自然と口元が綻んでしまう。 しかし貸してくれる、と言われたのはわかるが、なぜ座れと言われたのだろう。不思議に思いながら少年の席に座る。すると少年は鞄から出したタオルを手に、椅子の後ろに回っておもむろに望月の頭にタオルを被せた。タオルの上から頭においた手をわしわしと動かし出す。驚いて振り向こうとすると、動くな、とグキリと首を前に固定されてしまった。 「え、な、なに」 「ん?ああ、心配するな、洗濯してからまだ使ってない。きれいだよ」 困惑顔の望月に、的の外れたフォローの言葉をかけながら少年は手の動きを再会した。 なるべく力を加えないように優しく拭いてやる。すると最初はもぞもぞと落ち着きなかった望月も、しばらくするとすっかり体の力を抜いておとなしく頭を預けてきていた。 タオル越しに触れる黒髪は意外と柔らかく、なかなか触り心地が良い。いつもはしっかりと整えられているオールバックもいまはすっかり崩れて、見る陰もない。 (下ろすと幼くなるんだよな あ、睫毛けっこう長い…) 気持ち良さそうに目を細めている望月をこっそりと眺める。彼の少しくすんだ深い海を想わせる色をした目を縁取る、男にしては長い、たっぷりした睫毛に自然と目が惹き付けられた。 病的といえるほどに白いその頬に落ちた微かな影に心臓を掴まれる。それよりも下にある薄い唇からほう、とかすかなため息が出るのに合わせて影がふるり、とふるえる。たまらなくなって顎を掴みゆっくり上に引っ張りあげた。半分眠っているのか、それでもぼんやりとしたままのその白い目元に、被さるようにくちづけた。自分の顎の辺りが睫毛に触れるのを感じながら、軽く吸い、小さな音を立てて唇を離すと、大きく見開かれた青灰色が目の前にあった。 ああ、そんなに開いたらこぼれおちてしまうのではないのだろうか。濡れた木の葉から流れ落ちる雨粒のように、ぽろりと |