「ね、アイギスさん、おねがいだから…」
 「いけません」
 「けど、さ、ほら、みんな見てるし、このままじゃあんまり良くないことになるんじゃないかな…えっと僕にも君にも。だからさあ」
 「現状には何の問題もありません。よって却下します」
 「そうかなあ…」
 断定されて途方にくれてしまう。アイギスさんは、僕の意見なんかどうでもいいと言わんばかり。平然としたものだ、さっきからちっとも表情を変えていない。反対に僕はこれ以上ないほどに顔を真っ赤にしていて、もうほんとごめんなさい勘弁してくださいって感じだ。
 僕は多少のハプニングには動じない自信がある。修学旅行の露天風呂で、僕たちがいるときに女の子たちが(しかもあの巌戸台分寮の方々だ。彼女たちは学園の男連中にとって高嶺の花なのだ)入って来たときだって、順平や真田さんみたいに取り乱したりしなかった。多少は驚いたものの、順平みたいに「ガルダインガルダイン木に吊るされて三連発」とか謎の呪文を唱えたり、真田さんのように「処刑処刑処刑が来るぞああシンジ俺はもうすぐお前のところに行くことになるのだろうか」と誰かに向かってすがるような声を上げたりはしなかった。美鶴さんに見つかったら処刑、と聞いたときはさすがにビックリしたけれど。それでもあそこまでガタガタ震えたりはしなかった。相手は女の子なのだ、なんであんなに怖がるのか僕にはわからない。順平に言ったら「知らないって幸せだよね。オレッチいますっげえ実感してる」なんて憐れむような目で言われた。よくわからない。
 結局あのときは、僕以上に落ち着き払った主人公君の誘導でなんとか彼女達から逃げ延びることができた。ちょっともったいない気もするけれど、やっぱり女の子の一糸まとわぬ姿って、ちゃんと許してもらってから見たい。気持ち的にも常識的にもそちらのほうが良いに決まってる。何より、好きな女の子とは、そういった関係になってから、そういったことをするときまでお互いちゃんとしたいと思う。僕は紳士なのだ。
 その好きな女の子に横抱きに抱えられているって、男としてどうなんだろう。
 膝の裏に左手を差し込まれ、背中には右手を添えられている。所謂お姫様抱っこというあれだ。僕は女の子じゃないから間違ってもお姫様じゃない。ならこれはなんなんだろう。
 僕の自信は色々な意味で砕かれてしまった。男としてのプライドなんてずたぼろもいいとこだ。アイギスさんは好意でしてくれているのだろうし、普段冷たくあしらわれている僕としては嬉しいはずなんだけど、ほんとにもう勘弁してほしい。
 そもそも授業中サッカーしていて足なんか挫いた僕が悪いのだ。ボールを奪おうとタックルしてきた他の男子をかわしきれなくて、無様にすっころんだ。あんまり派手にふっとんだものだからゲームは中断、他の生徒たちも集まってきてちょっとした騒ぎになってしまった。なかには離れたところで男子とは別に授業していた女の子たちもいて、ちょっと恥ずかしい思いをした。あわてて立ち上がろうとしたけれど、右の足首に鋭い痛みが走ってうずくまってしまう。見ると真っ赤に腫れ上がっていた。
 心配そうに覗き込んでいた青い髪の彼がそれに気づいて僕を運ぼうと言ってくれた。あんまりなさけなくて恥ずかしくて、ちょっと泣きそうになっていた僕には、彼の優しさが心に染みた。嬉しくて、差し伸べてくれた腕にひっつこうとしたそのとき、アイギスさんの声が響いた。
 「いけません」
 みんなの目がアイギスさんに集まる。彼も彼女を見てばつが悪そうな顔になった。彼は僕にとてもよくしてくれるけど、アイギスさんはそれが気に入らないらしく、彼を僕から引き離そうと必死だ。だから今回も彼を連れて行ってしまうんだろう。悲しいけど仕方ない。順平にでも肩をかりようとあきらめた。気にしないでって微笑んで彼に首を振るけど、彼はまだ納得いかないらしく、むうとしている。アイギスさんを説得しにかかった。
 「アイギス、望月は怪我をしているんだ」
 「認識しています」
 「だったら」
 「私が運びます。あなたが手を煩わす必要はありません」
 空気がかたまった。


 アイギスさんはとても素早かった。
 みんなが呆けているうちに、おなじくぽけっと彼女を見上げる僕を軽々抱き上げて、さっさと保健室に向かって歩き出してしまった。我に帰った僕はさっきから下ろしてくれるように頼んでみてるけどぜんぜん聞いてくれない。もうあきらめて運んでもらえよって僕の冷静な部分が言うけど、やっぱり僕も男だから、どうしても現状を受け入れられない。だって高校生の男が同い年の女の子にひょいと持ち上げられているのだ、お姫様抱っこで。こんなの恥ずかしすぎる。
 無意味だとわかっていても、なんとかおろしてもらおうとアイギスさんに話しかけ続ける。
 「ねえアイギスさん、疲れない?そろそろおろして」
 「疲れは全く感じていません。よって却下します」
 「うぅ…でも僕重くない?けっこう身長あるしさあ」
 「重量による負担はありません。よって却下します」
 グサッときた。
 確かに僕は平均体重よりもだいぶ軽いのだ。色も白くてたまに他の男子に「もやし」扱いされてしまう。順平は気にするなって慰めてくれるけど、僕は、残念だけど僕のことを好きじゃない人が僕のこのひょろひょろした見た目を馬鹿にしているのを知っている。僕は僕のことがちゃんと好きだけれど、吹けば倒れるような細いからだは少し嫌だった。あまり男らしくない体系だと思う。それを遠まわしに指摘されたような気がして悲しくなる。
 「もっと食べたほうがいいのかな…」
 「あなたの食事量は同年代の男性の平均摂取量とあまり変わりありません。よってそれは無関係でしょう」
 「そうなの?」
 独り言のつもりのつぶやきに、アイギスさんが答えを返してくれた。普段は僕の言うことなんかどうでもいいふうで、明らかに自分に向けられた言葉でなければ反応しない彼女がだ。はっと嬉しくなるけれど、じゃあなんで僕はこんなに細っこいんだろう?
 「ヒトの体重増加の原因には大かなり雑把にわけて二種類あります。ひとつは栄養の摂取による脂肪の増加。おもに女性が嫌がるものです。そしてふたつめ」
前を向いたまま喋っていたアイギスさんが、彼女より少し下の位置にある僕の顔に向き直る。
 「筋肉の発達です。よく鍛えられた筋肉は鍛えられていないものよりも重いのです。さらに同じ量の筋肉と脂肪では筋肉のほうが重い。食事の量が同じであるのに平均体重に満たないあなたは、つまり筋肉がないわけです。男性であるにもかかわらず。みたところあなたの脂肪と筋肉の割合は、もうすこしで女性とかわらないくらいですね。男性であるにもかかわらず。だから"女子高生"の私にも軽々持ち運ばれてしまうのですよ、男性であるにもかかわらず。これはいわゆるお姫様抱っこと言うものですよね?男性であるにもかかわらず」
 アイギスさんの表情は変わらない。だけど、その眼は。青くて綺麗な、僕の大好きな彼女の眼だけは、とてもとても愉しげに笑っていた。
『カルパチオ』のギミさんに捧げます