「大変そうだね、手伝おうか?」
  階段の踊り場に差し掛かったところで、背後から声を掛けられた。
  普段ならばきちんと振り反って、その必要がないことと、助力を申し出てくれたことへの感謝を相手に伝えるのだが、そうはしなかった。上階へ向かう歩みを止めることなく「必要ありません」と言い切った私に、それでも声の主はくいさがってくる。
 「でもそれ、重いでしょ。女の子がそんなの持っちゃだめだよ」
 そう言って彼は、私の腕に抱えられた大量の紙束を指差した。次の授業で使用する資料だから運んでほしい、とたまたま職員室の前を通りかかったときに頼まれたのだ。
  紙は、一枚や二枚なら薄く軽いのだが、量が多いとかなりかさばるうえに重くなる。一組凡そ四十枚、それが三揃いほどあるうえに、提出されていたノートやらレポートやらまであるのだから、重さは相当のものだ。一般的な女子高生が籠に入れもせずに運ぶにはいささか重すぎるように思える。しかし機械の私には問題のない重さだ。よって手助けは必要ない。申し出たのが彼だというのなら、なおさら。
  「必要ありません。私に近寄らないでください。あなたは────」
 だめであります、と続けようとしたのだが、そのとき彼が私の荷物をヒョイと半分ほど取り上げてしまったので、間抜けにも口を開いたまま固まってしまった。
 「そんなこといわずにさ、手伝わせてよ。ほら、半分こしよう。ならいいでしょ?」
  ね?と、泣きぼくろのある目元を緩ませて話しかけてくる。私の緊張をほぐすためのそれは、逆効果だった。
  なぜ。
  気付かなかった。気付けなかった。
  確かに荷物は私の腕の中にあったのに
  私のセンサーには何の反応もなかったのに?
  ただの人間の彼に、この私が、所持品をこうも易々と奪われるなんて────
 固まってしまった私を怪訝そうに見つめる視線を感じる。それはただの人間の視線でしかない。なのに、私の中で警報が鳴るのだ。
  彼に近付いてはいけない
  彼を近付けてはいけない
  だれに?だれを?
 なぜ?どうして?
 守らなくては。彼はだめだから。
  彼はだめだ。
  だめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだ
 「ねぇ、大丈夫?アイギスさん」
 「──────っ    近付かないで!」
 心配そうに手を伸ばしてきた彼に向かって、限界を迎えた私は持っていた物を全て投げつけて、そのまま階段を駆け降りる。これ以上彼のそばにいると何をするかわからなかった。


 走りつづけて、誰もいない中庭にたどり着いたころ、やっと警報が鳴りやんだ。
  彼の驚いたような顔を思い出す。そして資料の山を投げつけられたときの傷付いたような表情も。
  嫌な気分だ。せっかく彼が親切で手伝おうとしてくれたのに、なんてことをしたのだろう。
  彼は本当に親切で紳士的で、優しい人なのだと、転校して来て以来関わることを避けている私にもわかる。だから人の役に立つために製造された私にとって、彼は好ましい人物のはずなのだ。
  それでも彼を拒絶するのは、彼がだめだからだ。彼の何がだめなのかはわからないことは本当に申し訳ないが、それでもだめなのだ。
 彼が現れて以来私はおかしい。
  鳴りやまない警報、働かないセンサー、メモリに何かガードがかかっている感覚。
 不自然な警報やメモリの異変はまだいい。だけどセンサーはだめだ。これでは敵の接近に反応できない。これでは戦えない。皆さんの、大切なあの人のお役に立てない。役に立たない兵器は必要がない。
 必要の無くなった兵器はやがて処分され、新しいものに入れ換えられるだろう。処分された私はどうなるのか、予想結果が浮かび上がる前に消去する。例え予想でもそんな光景はみたくない。
  私がおかしくなるとき、決まって彼がそばにいるのだ。彼がいなければ私は平常通り動いていられる。彼がいなければ私は兵器のままでいられる。
  だから彼はだめだ。私を何かわけのわからないものに変えようとする。私の気付かぬ間に、私が腕の中で守るものを奪っていく。それが私には耐えられないのだ。そんなことは絶対に避けなくてはならない。
  彼によって産み出されるこの感覚が、「恐怖」と呼ばれる感情だと知る、ほんの少し前の話。