例えば私が彼に対するときに浮かぶ感情(というと些か語弊が在るかもしれない。(何故なら私は無機物だからだ))に名前を付けるとしたら、物を知らない私が言うのもなんだが、それは決して憎悪ではないだろうと思う。
 例えばここに一人の人間が居たとする。彼(あるいは彼女)には憎み忌み嫌う相手がいる。
 もしその感情が嘘偽りない悪意だというのならば、その相手が幸福に包まれれば彼(あるいは彼女)の心はそれに反比例するかのように嫉妬と憎しみの濁りあった澱の中に沈むのだろう。
 反対に相手が絶望と失意にさいなまれるならば、彼(あるいは彼女)の心は早朝の清々しい空気のような晴れやかさで満たされるのだ。口の端に少しの同情と嘲笑を携えて。
 しかし私は彼が幸せそうにしていようと落ち込んでいようと、それに対して何の感慨も抱かない。にこやかな彼がその柳眉を曇らせ眼を伏せ口を閉ざそうとも、それに対して優越感を抱くことはない。憐れみを覚えることもないが。
 つまり、私のこの正体は掴めないがあまり歓迎の出来ないものであるだろうことは容易に知れる感情(もしくは電気信号)は、彼の心身の操欝や幸不幸には関係なく発生するものなのだ。
 発生の際、そこに彼の意思、心理状態、あるいは人格などは存在しないに等しい。人の人たる所以の精神を無視して、私の感情(もしくは警告音)は彼の姿を認識した瞬間に、私の脳に張り巡らされた微細な糸をもってして全身に行き渡り、私の存在全てをもってして彼の存在を拒絶する。つまり私は彼の本質を人間扱いしていないということだ。
 これは由々しき事態である。本来私はシャドウ制圧用に造られた兵器だ。何故シャドウを制圧しなくてはならないか、それは一重に人類に(当時行われていた研究に)害を成すのを防ぐためであり、つまり私の存在は、人を守る為に在るのだと言っても過言ではない。その私が人間を人間扱い出来ないとなれば、それは私のボディの何処かに不具合が生じているということだ。付け加えるならばそれは極めて深刻な故障であるから、それが露見すれば私は修理に出されるか、最悪破棄されることになるだろう。
 回避する方法は唯一つしかないように私には思えた。今までも今現在もこんな事態は誰に対しても起こらなかったのだから、ならば例外を排除すればそれで良いのだ。
 早急に対策を練らなくてはならない。私が人を守り続ける為に。